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レイトチェックアウトから考えるペナルティーの内と外

今ホーチミンで泊まっているホステルにはレイトチェックアウトのペナルティーがある。チェックアウトは12時でそれ以降はレイトチェックアウトする時間帯に応じて一泊料金の30パーセントから100パーセント分を支払わなくてはならない。

Check out time: 12:00. Late check out from 13:00-15:00 will be extra-charged 30%, after 15:00 – 18:00 will be extra-charged 50%, and after 18:00 we counted one more day based on your room rates.

なので多くの宿泊客は12時ギリギリになるまでホステルに留まり、みんな一斉にチェックアウトするのでフロントは12時頃が一番混み合う。

だがそこまでして12時までにチェックアウトする理由が僕には分からない。というのも一泊の料金がたったの7ドルだからだ。仮に14:00にチェックアウトしたってペナルティーで30パーセントの2.1ドル払うだけである。

18:00にチェックアウトしたって一泊料金の7ドル払うだけだ。たったそれだけなのに、旅行者がそこまで貧乏であるはずがないのにどうして12時までにチェックアウトしたがるのか疑問だ。

そのくせ荷物はフロントに預かってもらい、再び戻ってくるのだ。チェックアウトしてしまえばもうベッドでゆっくりすることも出来ないのに。

「レイトチェックアウトは追加料金(ペナルティー)を払わなければいけない」というのは裏を返せば「追加料金(ペナルティー)を払いさえすればレイトチェックアウト」しても良い、という意味である

追加料金が100ドルとか金額が多ければチェックアウトの時間に拘るのは理解出来るが、たった数ドルに固執するのはどうしてだろうか。

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ルールの内と外

世の中には無数のルールが存在し、そのルールを破ればそれ相応のペナルティー(罰)を受ける。最もわかりやすい例が法律だ。法律は端的に言って社会が円滑に進んでいく為に守るべきルールであり、これを破ればペナルティーを受ける。

例えばスピード超過などの交通違反を犯せば罰金や免停などのペナルティーがあり、物を壊したり盗んだりすれば刑務所に入る。人をたくさん殺せば死刑になる。当然のことだ。

重要なのはこれらのルールが規定していることは「これこれの罪を犯せば、これこれの罰を受ける」ということだけであるという点である。法律は「人を殺してはいけない」などとは言わない。ただ「人を殺せば死刑になる」という事実関係だけである。

しかしながら我々は滅多に物を盗んだり、一般道を100キロで走ったり、人を殺したりはしない。理由は簡単で多くの人は刑務所に入りたくないから、罰を受けたくないからだ(「その行為自体が道徳的に悪いことだからだ」と言う人もいるかも知れない。詳しいことはここでは省くが道徳自体もある種の利己的な動機で形作られたものだから思った以上に脆弱な理由だと思う。何故なら道徳の定義は時と場合によっていくらでも変わりうるから、例えば戦争とか)。 

この事実の裏にあるのは「誰だって自分がされて嫌なことは他の人にするべきではない」という前提であり、更にその裏にあるのは「自分がされて嫌なことは、他の人だって嫌なはずだ」という大前提である。

我々がわざわざ悪いこと(ここでは「法律を破る」という意味。つまり「法律破る」ことを「悪い」と言い換えることで道徳的な意味合いにすり替えている)をしない理由はここにあり、これはわざわざ文章にする必要が無いくらいほとんど全ての人間が共通して持っている気持ち、感情、思考だと思う。

法律はこうした人間の極自然な感情を前提にして成り立っている。「何々すれば、何々という罰を受ける」という文章の裏には「この罰を受けるのは当然嫌だろ。だからしてはいけないんだ」という文言が隠れていて、それゆえに我々は簡単に罪を犯したりはしない。この考え方をすれば道徳が入り込む余地はどこにも無い。

しかし、極稀にこのルール自体が意味を成さなくなる場合がある。それは僕がレイトチェックアウトの追加料金(ペナルティー)を払うことに同意または承諾した場合、つまり、ペナルティーを受け入れてしまった場合である。

この時もはやペナルティーはペナルティーではない。何故ならペナルティーがペナルティーたる所以、つまりペナルティーの本質とはそれを人々が嫌がり、受け入れないということだからである。

ペナルティーを受け入れることは「ルールで支配された世界の外に出ること」と言い換えることも出来る。前述したように「ルールで支配された世界」とは大多数の人々が共通認識として持っている「嫌さ」を前提にした世界であり、その外に出るとは「そもそもそういう前提を持たない。あるいは持っていたとしても放棄する」という意味である。

極端な例を出せば、「死刑になっても構わないから人を殺す」と言う人間に対して死刑はもはや抑止にはならないということだ。我々は誰だって死刑になりたくない。みんなそう思ってる。だから死刑が一番思い罪でありえるのだ。

しかし、この人間は死刑になることを受け入れてしまっているのである。ではこの人間に対して死刑を言い渡さずに終身刑をいい渡せばいいのかと言えば、単純にはそうならないのはすぐに分かる。

仮に容疑者にとって死刑よりも終身刑の方が重い罪だったとしても、そもそも終身刑は極刑では無いし、それだと被害者の遺族だけでなく社会全体も「罪が軽過ぎる」と反発するだろう。何故なら我々の前提では死刑が一番重い刑だからだ。

でも、容疑者は死刑を受け入れている。もしかしたら死刑になることを望んでいるかも知れない。そうなると我々が出来ることはもう何も無い。

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戦略としてルールの外に出ること

ルールの外に出た人間にルールを適用することは原理的に不可能である。レッドカードを覚悟してファールをするサッカー選手にレッドカードを出したってもう遅い。彼はもうレッドカードで退場することを受け入れているからだ。

つまり自分が退場したとしてもチーム全体としては利になる時には戦略としてわざとレッドカードを出すということはありえる。というかスポーツの世界ではそれほど珍しいことでは無い。

最初のホステルのレイトチェックアウトの話に戻るが、わざわざ2ドル程度のことで焦ってチェックアウトをする前に、そうする必要があるのかというのを考えてみるべきだと思う。

何でもかんでも「ルールだから」という理由で従う必要は無い。殺人のケースは極端な例だが普段からルールの内と外を意識するのも上手く生きていく為の戦略として有効であると思う。

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