【寄生獣⓵】罪の所在についての考察

寄生獣は僕がもっとも好んで読み返す漫画の一つである。一年に一度は無性に読み返したくなり、ブックオフに行くなり、実家にある古い寄生獣を読み返す。

最終巻の後にあるあとがきを読み返すとどうやら作者はそれほど意識していなかったようだが、この作品はあらゆる種類の問題提起に満ちている。環境、人権、心身、生命倫理、人生論、哲学などのテーマがそこら中に散りばめられている。そして、ひょんなことから片腕が寄生獣になってしまった青年がそれらに晒され、孤独な戦いを余儀無くされる様を描いている。

青年は物語が進むにつれて近しい人の死のような過酷な運命と向き合うことになり、その過程で色々なことを自分なりに考える。周りの人について、社会全体について、恋人について、ミギーについて、そして自分自身について悩み、特には失敗し、落ち込み、しかしまた立ち直る。その姿がなんとも美しい。きっとこの「美しさ」は作画自体によるところもあるだろうけれど、とにかく、僕がこの作品を何度も読み返したくなる理由はここにあると思う。

まだまだ書き足りないけれど、僕の感想はここまでにしておいて罪の所在という観点でミギーとシンイチのどちらに罪があるのか、について少し考えたいと思う。

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ミギーとシンイチのどちらに罪があるのか

ミギーはシンイチの右手に誤って寄生した寄生生物であり、シンイチの脳を寄生し損ねた為にシンイチの右手に住まわせてもらっている、シンイチとは別の個体である。もちろんミギーはシンイチとは別の人格意識を持っており、シンイチの意思とは関係なく、身体を動かすことが出来るが、本体であるシンイチが死んでしまったらミギーも死んでしまう。

こういう設定があることを踏まえて、たとえばミギー(シンイチの右手)が誰かを殺したとする。誰か、は普通の人間と寄生獣に寄生された人間に分けられる。

寄生獣の人間を殺した場合

仮にミギーが人間の姿をした寄生獣(A)を殺したとする。すると果たしてミギーは誰を殺したのだろうか。ミギーが殺した(A)は人間の姿をした寄生獣であり、元の人間(a)は既にAによって殺されてしまっているのだ。あるのはaの肉体だけである。

つまりこのケースにおいては厳密にはミギーは人間を殺したわけではない。ミギーが殺したのはAであり、aの肉体である。つまり、ミギー(シンイチの右手)は誰も殺したことにはならない。故にどちらも罪には問われない。寧ろ危険な寄生獣をやっつけた英雄だろう。

疑問⓵

だが、本当に「厳密にはミギーは人間を殺したわけではない」と言えるかどうかは疑問が残る。何故ならaの意識・精神は肉体には宿っていないが(何故ならAによって既に殺されているから)、血の通った肉体はそこに存在しているからだ。

しかし肉体がそこにあったとしても精神がなければもう死んでいるという見方もあるだろう。寧ろこっちの考えの方が一般的ではないのか。この考え方の裏には「脳が人を人たらしめている。脳が破壊されてしまえばもう同じ精神が肉体に宿ることはない」という無意識的な了解があるように思える。そして確かに、現代の科学力なんかを考えれば、それは説得力がある。

論点⓵

ここで新たな論点が浮かんでくる。さっき「脳が破壊されればもう同じ精神が同じ肉体に宿ることはない」と言ったが、もし、寄生獣(A)が脳を奪った後でも奪う前の人間(a)と全く同じ生活を送り、aと同じように振る舞い、自分が寄生獣であると誰にもバレなかった場合、それはもはやAではなくaなのではないかという点である。

これはある意味ではとても恐ろしいことのように思える。何故ならもしこの想定が正しければ、今自分の周りにいる人間もひょっとしたら寄生獣である可能性はゼロとは言えないからだ。

「そんなバカなはずはない」と言いたい気持ちは分かるが、寄生獣が自分が寄生した人間と全く変らず生活を続けるのなら、我々には彼が寄生獣であると疑うことは出来ない。懐疑論者は疑うかもしれないが、寧ろそのように疑うに値する証拠が無ければ懐疑論は何の役にも立たない。

しかし、作中では自衛隊特注のサーモグラフィーのようなものを使って頭の中をスキャンし、それによって寄生獣と人間は判別出来るそうだから心配はいらない。

普通の人間を殺した場合

作中ではミギーは一般人を殺したりしないが、仮に殺した場合はどちらの罪になるのか。はっきりしていることは、一般人を殺したのだから、どちらか、または両方が罪を被らなければいけないということだ。

ミギーという自己意識を持った存在

この問題はミギーが「自己意識を持ち」、「人間と同じように会話し」、「ある意味でシンイチの生命を握っている」ということにより、より一層複雑になっている。

仮にシンイチがナイフで人を殺したすれば、罪はシンイチが被る。何故ならナイフに意思はないからだ。罪を被りようがないし、反省しようもない。せいぜい廃棄処分されるくらいだ。

しかし、ミギーはしっかりとした意思があり、時にはシンイチとも敵対する、それでいて共存している、そもそも全く別の種類の生き物なのだ。

⓵ミギーとシンイチの両方の意思で殺した場合

二人仲良く罪を被ればいいから問題はない。

⓶ミギーの意思で殺した場合

ミギーの単独の意思で殺したのならば、ミギーが罪を被るべきである。しかしミギーが罪を被るとは一体どういう状態を指すのかがはっきりしない。ミギーはシンイチの右手でもあり、仮にミギーが死刑になった場合はシンイチの右手が失くなるということでもある。しかし、これはシンイチの運が悪かったという話で済まされそうなので問題はなさそうである。

残る問題はミギーがシンイチの命を人質に取るくらいであるが、罪の所在が変わるわけではない。

⓷シンイチの意思で殺した場合

これは当然シンイチが罪を被ることになる。しかし、殺した道具に意思がある場合はどうすれば良いのか。ナイフは捨てればいいが、ミギーは捨てることは出来ない。

しかし、本当にこれはシンイチだけの意思だったのかどうかは疑えるのではないか。つまり、ミギーは意識を持った存在ゆえ、殺すことを拒否することだって出来たはずである。つまり、殺してしまった瞬間、それはミギーがシンイチに同意したということになり、⓵と変らないのではないか。

寄生獣にみる罪の所在についてまとめ

以上のことから分かったことは、罪の所在は常に意思あるものに起因する(attribute)ということである。

つまり意思ないものは基本的には(天災や病気を除けば)人を殺したりはしない。ただそこにあり、あるものは運動を続けるだけであるから、罪にはなり得ないのだ。

しかし、寄生獣の場合、一つの身体に二つの意識が存在している為、罪の所在を決定するのは容易ではない。

更にシンイチとミギーが異なる種の生き物であり、常に敵対する可能性を孕んでいるにも関わらずに、お互いに身体の一部を共有し、一方が欠けるともう一方は生きていけない(シンイチがミギーを殺そうとすればミギーは正当防衛として必ずシンイチを殺すだろう)という数奇な運命が、この問題をより複雑にしているのである。

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