【哲学・ニーチェ】決して一般化されえない<個別性>という視点

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「これがニーチェだ」永井均

今、私がもっとも敬愛する哲学者の永井均の「これがニーチェだ」を読んでいる。

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この本を読むのは何度目になるのか正確には覚えていないがいつも最後まで読み終わらずに途中でやめてしまう。別に内容が難解過ぎたりつまらなかったりするわけではないが、いつの間にかカバンの中から本棚に戻されている。今では一年に一度くらい読み返すくらいだ。

恐らく、どうしようもなくこの本が読みたくなるモヤモヤした時期というのがあるに違いない。そして読み進めて行くうちに自分の中のモヤモヤがしっかりとした輪郭を帯始め、自分が抱えている問題がハッキリしたところで満足して途中で放り投げてしまう。そして読むのをやめた時点で自分が抱えていた問題すらさらっと忘れてしまい、それゆえ本の内容も忘れている。恐らくこんな具合で毎年同じことを繰り返しているのだろう。

幸いなことに今回はまだ読み進めている途中なので本の内容も少しだけ覚えているからちょっとだけニーチェについて。

間違ったニーチェ解釈

ニーチェについて書かれた本はいくつもあるが、そのほとんどについて永井均は不満があるという。その理由は「ニーチェの思想・言葉を人生の役に立つ素晴らしいもののように解釈している」からだと言う。

この本を読めばよくわかることだが、ニーチェの思想・哲学は根本的には反社会的であるとしか言いようがないし、人間を反社会的な行為に駆り立てる恐れがあるという意味で危険な思想家ですらある。ニーチェの言葉から「より良い人生、より良い生き方」についてのアドバイスを受けることが出来ると思っているならそれは幻想でしかない。

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例えばこの本なんかが良い例だ。ニーチェの難解な言葉を文脈から切り離し、訳者が適当な解釈を加えてあたかも万人に対する人生のアドバイスのように見せかけている。

もちろん「たとえ間違って解釈された言葉によってでも人生に対して前向きになれたとしたらそれはその人にとっては良いことだ」という主張は正しい。しかし、この主張にはある前提が隠れている。「その(前向きになった)人生が他人に迷惑をかけない限りに置いて、つまり公共的である限りにおいて、良いことだ」という前提だ。

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誰がよく生きるのか

確かにニーチェの言葉には「よく生きる」というものがある。だがしかし、これは一般的な意味での「よさ」とは根本的に異なることに気付かなければならない。ニーチェが言う「よさ」とは決して一般化され得ない<私>にとって良いことをせよ、という意味である。これはとても危険な教えだ。

例えば、人を殴ることでしか自分の生を肯定出来ない人がいたとしよう。彼はこれまでの人生を一度も楽しいと思ったことがなく、常に自殺を考えていた。しかしある時にひょんなことから他人を殴ることがあり、その時にこれまで味わったことのない満足感、自己肯定感を覚えた。彼はこの時初めて生きている喜びを知ったとしよう。

こういう人がいたらきっと我々は不快に思うだろう。いつ人を殴るのか分からないのだから危険な存在だから我々の社会から排除すべきである。いくら彼が人を殴る度に生の喜びを知るのだとしても、それは我々にとっては許容すべき事柄ではなり得ないから、彼に向かって「そんなことはやめろ」と声を大にして言うはずだ。

しかし、ニーチェは違う。例え人を殴るという行為が社会にとって危険であっても、そのことによって<彼自身>が自分自身を肯定出来るのだったら「そうすべきだ」と言うだろう。

「よく生きる」とは社会にとって「よい」生を生きろと言っているのではなく、<自分>にとっては「よい」生を生きろと言っているのだ。だからそれは往往にして反社会的でありうるのだ。

<個別性>という視点

つまりニーチェを本当に正確に読み解くには絶対に一般化されえない<個別性>という視点が存在することを知っている必要がある。

ニーチェはそうした<個別性>視点を持った人間に対して「よく生きろ」と言っているのだ。ある行為が、たとえ他の人の幸福を害するようなことであってもそういう行為によって自分の生が肯定されるのならそうすべきだ、というニーチェの思想はどうして社会的であろうか。

これを一般的に解釈し直して、万人に対するアドバイスとして受け取るのは根本的に間違っているし、ニーチェの哲学に触れたつもりで実はかすりもしていないのだ。

ところでこの<個別性>という視点は実は語りえない。どんな言語によっても語りえない真理であり、それゆえ多くの人がニーチェの思想を誤解しがちなのはある意味で仕方がないことなのしれない。

前例も無く、後例もありえないような、特に理由も無く今そのようにそこに存在する、たった一つだけのもの、すなわち<私>という視点を持って生きている大人をまずほとんどいないだろう。この種の視点を意識出来るかどうかは日常生活を生きていく上で全く不要であるし、むしろ意識しない方が世渡りも楽になるだろう。

でも世の中にはどうしてもこの視点が頭から離れずにいる人たちが少数いるようだ。永井均がその筆頭であろう。永井均がウィトゲンシュタインとニーチェの哲学に最も惹かれる理由もここにあるに違いない。この二人は多くの偉大な哲学者の中でも特に<私>という一般化されえない個別性に固執し、その生涯を捧げた哲学者でもあるから。

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オススメの本

哲学にほんのちょっとでも興味がある人はここにある本はぜひ読んで欲しい。オススメ順に並べておいた。

一冊読んで全く理解出来ない人もいるだろう。そういう人は哲学とは無縁だったと思い世の中を良くすることに精を出して欲しい。

もし自分が抱えていた疑問と同じ種類の問いがここで問われいてると感じた人は、「そういう人は意外と近くにいるもんだ」と思ってこれからの人生を前向きに生きて欲しい。

「<子ども>のための哲学」では究極的には答えが出そうにない「なぜ僕は存在しているのか」「なぜ悪いことをしてはいけないのか」というたった2つの問いについて徹底的に考え尽くす。

この本は翔太という中学生と猫のインサイトの対話という形式で物語が進んでいく。上で考えられた問題に加え、「今夢を見ていないという証拠はどこにあるのか」「心があるとはどういうことか」など有名な哲学的諸問題についても徹底的に哲学されている。私が一番最初に触れた永井均の著作であり、何度読み返したってその輝きが失われることはない。

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「ウィトゲンシュタイン入門」はその名の通り難解さで知られるウィトゲンシュタイン哲学の入門書だが、単にウィトゲンシュタインの哲学を紹介するだけでなくその哲学をウィトゲンシュタイン的に批判したり、長い独自の哲学が展開される箇所もあり、永井均の哲学書としても読むことが出来る。

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