久々に良い映画を見ましたのでサクッとあらすじと感想を書きます。大筋はとてもシンプルなストーリーなのですが細部までとてもよく練られた作品です。
多少ネタバレするかも知れないので自己責任でご覧下さい。
短いあらすじ(ちょっとネタバレ)
ある日高校生であるショーンとイーサンは、イーサンの家の向かいに住んでいる老人ハロルド・グレイニーの家に盗聴器や隠しカメラを仕掛け6週間に及ぶ監視実験を始める。グレイニーは近所の住民からも「狂人」と思われている老人で常に独りだった。イーサンたちは最初は電気が突然消えるなどの心霊現象を模した簡単なドッキリを仕掛けて楽しんでいたがグレイニーは全く動じない。
その後も様々なドッキリを仕掛けるのだがドッキリの程度が徐々にエスカレートしていく。授業で聴いたある心理実験(アルバート坊や実験)のことを知っていたショーンはこれ以上グレイニーを追い詰めることに否定的だったが、イーサンは断固として実験の継続を望み、何としてもグレイニーの家にある地下室の謎に迫ろうとする。
実験の最終段階になったところでグレイニーの家に仕掛けてカメラが猫によって露わになってしまうというトラブルが起こり、イーサンは真夜中にグレイニーの家への侵入を試みる。カメラを無事回収したイーサンはショーンの警告を無視して地下室へ入りそこにあったハンドベルを鳴らしてしまう。物音に気付いたグレイニーは目を覚まし、拳銃を持ってイーサンが隠れるリビングへと降りていく。
詳しいストーリー(ネタバレ・想像あり)
この映画はほぼショーンとイーサンという二人の悪ガキの視点から語られますが、途中で「後日に開かれた裁判」のシーンが挿入されます。そして後半部分ではグレイニーと元妻キャロラインの視点からも語られます。つまり3つの全く異なる視点から語られる場面が同時進行していき、最終的に同じ時間軸の中へと編み込まれていきます。
・ショーンとイーサン
実はイーサンはグレイニーのことを恨んでいた。というのもイーサンの両親はイーサンが13才の時に離婚していて、離婚する前に父親が母親に手を上げたので母親はグレイニーの家に助けを求め、それがきっかけで離婚となった。つまりイーサンには父親をグレイニーに奪われたという思いがあり、それが復讐心へと変わっていった。実験の途中でショーンは何度も実験の中止を求めたがイーサンが頑なに拒んだ理由はここにある。
イーサンはグレイニーが地下室で何かをしているということを主張し続け自分で確かめに入ったが結局何も見つからず、ハンドベルの音でグレイニーを起こしてしまう。イーサンはハンドベルを持ったまま地下室を出てリビングに隠れる。
目を覚ましたグレイニーの手には拳銃が握られており、イーサンが隠れているリビングへと向かう。イーサンも父親の拳銃を持ち出しており、身を隠しているテーブルの下から銃口をグレイニーに向けていた。
そして互いに銃口を向けあった瞬間、グレイニーは自分のこめかみに銃口を向け引き金を引き自殺を図る。呆然とするショーンとイーサンは何とかカメラを回収してこの場にいなかったように装おうとすると、突然警官が家に入ってきて二人は逮捕される。
・グレイニー
グレイニーにはキャロラインという妻がいたが12年前に病気で他界していた。グレイニーはキャロラインの遺品を地下室に置いていて、地下室にだけいつも鍵がかかっていたのはその為だった。ある日(悪ガキ二人が監視を始めた日)を境に電気が突然消えたり、いきなりレコードが流れたり、勝手口の扉が一人でに開閉したり、寝室が凍えるくらい寒くなったり、家に様々な現象が起こり始める。
グレイニーはこれらの現象の全てをキャロラインとの思い出に結びつけ(例えば真夜中にレコードをかけて二人で踊ったことや、勝手口のドアの事でキャロラインと口論した事など)、ここの家にはまだキャロラインが居るのだと思い始める。
ある日の真夜中にキャロラインの遺品であるハンドベルの音でグレイニーは目を覚ます。ハンドベルは病気で体力が衰えたキャロラインがいつでも自分を呼べるようにとグレイニーがプレゼントしたものだった。
グレイニーは拳銃を持って寝室を出てリビングへと向かう。そこで地下室にあるはずのキャロラインのハンドベルが何故かリビングに置いてあるのを見た彼は固まってしまい、しばらくして銃口を自分のこめかみに当てて引き金を引く。
・裁判にて
裁判では上の二組の視点では語られなかった事実(キャロラインの死後グレイニーには自殺願望があったこと、イーサンの両親の離婚、イーサンの復讐心など)が明らかになっていく。
そして判決は二人がまだ未成年ということもあり、「保護観察2年」「社会奉仕500時間」の罪で裁判は終わる。法廷から外へ出ると多くの記者団が2人を待ち受けており、そこで映画は終わる。
感想〜悪い奴は誰なのか〜
具体的な制作費などは分かりませんが、映画に出てくるシーンが普通の住宅街と法廷くらいしかないので恐らく殆どかかっていないでしょう。出演者もあまり有名な俳優さんもいないらしく、どこか大根役者な雰囲気は否めませんが、出演者の大根ぶりなんかどうでも良くなるほど心に染みるラストでした。同時に映画のタイトルが「グッド・ネイバー」であることが腑に落ちました。
全く別の互いに交わる事の無い視点から語られるストーリー構成も秀逸です。「互いに交わる事の無い視点」というのは端的に「グレイニー」と「悪ガキ二人」というお互いにお互いの意図を知らずに語られる視点の事です。映画を見ている(超越的な視点に立っている)僕らだけは二人の事情というものが良くわかっていますが、彼らは最後になるまで(というグレイニーは死んでしまったので一生分かりませんが)明らかになりません。
「お互いにお互いの意図や事情を知らずに相手を傷つけてしまう」ということは現実にも常に起こってしまう事ですが、映画の中では誰が悪者なのか。僕はこれがこの映画のテーマだろうと勝手に思っています。
当然他人の家に侵入したり監視カメラを設置して監視したりしたショーンとイーサンが悪者なのは明白です。裁判でもそのことは認められており、彼らは保護観察と社会奉仕という「罪」になりました。
しかし、当然この二人はグレイニーを殺そうと思ったわけでもないし、自殺に追い込んでやろうと思った訳でもない。ある意味でただ巻き込まれてしまったショーンはおろかグレイニーに恨みを持っていたイーサンですらせいぜい心霊現象を起こして怖がらせてやろうくらいにしか思っていなかったはずです。しかし、結果としてグレイニーは彼らによって追い込まれ自殺してしまった。
しかし上に書いたことはあくまでショーンとイーサン側の視点であり、グレイニーの視点に立てばこの事件は全く違う様相を持ちます。すなわち、グレイニーはある日を境に起こり始めた不思議な現象の数々は12年前に死んだはずのキャロラインによって起こされたものだと思い込んでいたという事実です。
グレイニーがそう思い込んでいたとは映画の中で明確にされていませんが、不思議な現象が起こった時に必ずキャロラインとの思い出がフラッシュバックすることに暗示されています。つまりグレイニーにとって不思議な現象の数々は悪ガキ二人のイタズラでも何でもなく、いわばキャロラインとの邂逅だったのです。そして最後には真夜中にハンドベルの音で目を覚ましリビングにその存在を認め「キャロラインが呼んでいる」と思い引き金を引いたのです。
つまりグレイニーは(少なくとも彼一人の視点から見れば)悪ガキ二人のイタズラによって自殺した訳ではない、という事です。
こうなるとショーンとイーサンのしたことは本当に「悪いこと」だったのだろうかを結論するのはとても難しい。恐らく裁判官もこの点を考慮して彼らの刑を軽くしたに違いありません。
悪いことが良い事になるかもしれない、そうだとしたら「本当に悪い事・悪い奴」なんていうのもいないかもしれない、結局はその行為がどういった結果を生み出し、他人にどういった影響を与えるのかが大事なのかもしれない、そんな事を思った今日この頃です。
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