哲学に興味がある人がまず最初にすることは「良い入門書」を探すことではないでしょうか。
大学で哲学を専攻したわけでもない一般人がいきなり専門書を読むことはあまり聞きませんし、読んでもきっとチンプンカンプンなはずです。
私自身も哲学は大好きですが哲学科出身ではありません。有名な哲学者の専門書もほとんど読んだことはありません。
しかし、専門書なんか読まなくたって哲学について知ることは出来ます。世の中には哲学の専門知識が無くても哲学について学べる良書がたくさんあります。
今回はそんな一般人向けに書かれた哲学書、とりわけ「これから自分で哲学をしたい」人にぴったりの哲学入門書を紹介します。
初心者におすすめの哲学入門書
それでは初心者におすすめの哲学書を紹介していきます。「自分に合いそうだな」というものがあればぜひ手に取ってみてください。
史上最強の哲学入門
表紙から見れば分かりますが、著者の飲茶さんはグラップラー刃牙の大フアンのようです。本の中にもバキが登場します。(飲茶さんの他の著作はこちら。)
「史上最強の哲学入門」では古代ギリシャから中世、現代に至るまでの哲学思想と有名な哲学者たちの人生や苦悩が分かりやすく描かれています。
平易な文章で書かれているのでマンガのように一気に読み通すことができ、哲学について一切学んだことのない方にはぴったりな本です。
ただしあくまでも「入門書」なので、もしかすると哲学に関する知識がある方は物足りなく感じるかもしれません。
そんな時はさらに専門的な内容を扱った哲学書を探してみるのがいいかと思います。
哲学的な何か、あと科学とか
続いても飲茶さんの本です。
これはタイトル通り、哲学だけではなく科学も扱っている本なのですが、寧ろ科学哲学についての話が中心的な内容です。
科学哲学とはつまり(自然)科学を哲学的に考察しようとする学問のことですが、例を挙げて説明するのがとても難しいです。
例えば箱の中にネコがいたとします。当たり前ですがそのネコは生きているか、死んでいるかどちらか一方の状態にしかなりませんよね。
そりゃそーだ。生きてるか死んでるかどっちかでしょ。
「生きているけど、死んでいる」なんて状態は絶対にありえないはずですよね。
意味わかんない。どっちかでしょ。
しかし、量子力学には「不確定性原理」というものがあり、これによると「物質の状態は人間が観測した時点で決まる」のです。
つまり人間が観測するまであらゆる物質の状態は「不確定」なのです。
まじで?!
つまり箱の中にいるネコが生きているか死んでいるかは「不確定」という意味不明な結論になってしまうのです。
だいぶ簡略化しましたが、これは「シュレディンガーの猫問題」と呼ばれ、この本の中でも扱われています。
更にこの本の中では「どこでもドアの思考実験」についても書かれています。
この思考実験では「どこでもドアをくぐった後も自分とくぐる前の自分は同じ<自分>なのか?」という超高度な哲学的難問に挑んでいます。
この哲学的問題は下で紹介する永井均という哲学者も挑んでおり、考えれば考えるほど不思議なところへ我々の思考が誘われていきます。
うー、なんか興奮してきた。
どうでしょうか?知的好奇心をくすぐられませんか?
私はこの本と大学1年の時に出会い、それから科学哲学に夢中になりました。今だから言いますが他大学の講義にも潜り込んだこともあります。
哲学的な何か、あと数学と
これも飲茶さんの著作です。こちらは数学を哲学的に考察した内容が中心となっています。
どちらかと言えば「数学史外伝」のような印象を受けますが、文章が分かりやすくてとても読みやすいです。
誰もが一度は聞いたこともある「フェルマーの最終定理」と数学者との数百年にも渡る戦いは手に汗握る思いで読み進んでしまいます。
俺文系なんだよね。因数分解しか出来ない。
大丈夫です。この本は数学的知識がなくてもスラスラと読めるくらい平易な文章で書かれています。
さらにところどころにイラスト説明も挿入されているので分かりやすさはピカイチです。
哲学ってどんなこと?
これはアメリカの哲学者トマス・ネーゲルが一般向けに書いた哲学入門書です。
扱われている問いは次のようなものです。
- どうやって私たちは何かを知るのだろうか
- 他人の心
- 心-身問題
- ことばの意味
- 自由意志
- 正しいことと不正なこと
- 正義
- 死
- 人生の意味
ちょっと難しそうですよね。ただ本文はかなり平易な文章で書かれているので高校生くらいなら楽に読めると思います。
私は原文で読みましたが高校の教科書に載ってても大丈夫なレベルでした。
文章は平易ですが扱われている問題は何百年間も哲学者たちが考え続け、未だに答えが出ていないものばかりです。
この本の中でネーゲルは「もしこれが正しければ、これも正しいということになる。そうするとこれは間違っているから….」という風に一歩一歩自問自答しながら挑んでいます。
これこそまさに哲学をすることです。
哲学とは難しくて有り難そうな言葉を後世に伝えることではありません。それは思想の役割です。
哲学の謎
これは哲学者の野矢茂樹さんが書かれた一般人向けの哲学入門書です。
2人の男性(年齢などは不詳、学生?)の対話という形式で話が進んでいくので非常に分かりやすいです。
ちなみに目次はこんな感じです。それぞれの章の終わりが現代哲学のとりあえずの回答で終わっているので章毎に読んでもつまずくことがありません。
- 意識・実在・他者
- 記憶と過去
- 時の流れ
- 私的体験
- 経験と知
- 規範の生成
- 意味の在りか
- 行為と意志
- 自由
目次にすると難しそうですが、実際はかなり具体的な形で問いが提示されるので理解しやすいです。
例えば第1章の「実在」という難しい問題でも「目の前にあるりんごは本当にここにあるのか?」というような具体例で提示されるので分かりやすいです。
更に簡単なイラストも付いてたりするのも嬉しいです。
ちなみに上の問題に関していえば
「我々の目がテレビカメラだとすると、我々はテレビの画面を見ているだけで、実際のりんごはテレビの中にあるから、本当はここには存在しない」
というように一方が主張し
「いやその仮定はおかしい」
というようにもう一方が反論するという形で話が進んでいきます。文章の間で白熱する議論を眺めているのはとても面白いです。
翔太と猫のインサイトの夏休み
これは私が初めて読んだ哲学書です。多分この哲学書を読んだ時に感じた衝撃を超える哲学書に出会うことはもうないでしょう。
「翔太と猫のインサイトの夏休み」は今から20年以上前に哲学者の永井均さんによって書かれた哲学の入門書です。
入門書ではありますが、扱われている哲学的諸問題はかなり高度な思考力を要します。
中学生の翔太と猫のインサイトの対話形式で話が進んでいきます。
読者に語りかけているというよりも2人の物語をのぞき見ているような、そんな心地で読み進めることが出来ます。
永井さん自身も「聡明な中学生なら読める」と言ってるくらいで、確かに文章は平易です(でも相当頭が良くないと相当厳しいと思う)。
この本で中心的に扱われているのは次のような素朴な問いです。
- いまが夢じゃないって証拠は?
- 心があるって、どういうこと?
- たくさんの人がいる中で、ある一人だけが『ぼく』なのはなぜ?
- 死ぬって、どういうこと?
素朴ですよね。特に子どもがよく親に聞きそうな質問ばかりです。
でもこれに真剣に答えるのが本当に難しい。なぜなら子どもが疑問に思うことって大人にとっては大体全部当たり前のことなんですよね。
今が夢じゃないのは当たり前だし、心があるのも当たり前だし、僕が僕なのも当たり前です。
でも、この本を読めば分かりますが、本当は全然当たり前ではないんですよね。
だって「今が夢じゃない証拠は?」と聞かれても答えようがないでしょう。
「今起きてるからだ」とか「さっき夢から覚めた」と答えたとしてもただ単に今そういう夢を見ているだけなのかも知れませんから。
もしかしたら後で目が覚めて「あれは夢だったんだ」と思うかも知れないですよね。
つまりこの問いに答えることは究極的には出来ないのです。というよりも問い自体に意味がない(ナンセンス)のです。
絶対に答えがないと知りながらもただ純粋に知的好奇心に動かされて負け戦を続けること、哲学とはつまりこういう学問だと私は思っています。
この本を読むと永井さんがどれほど哲学を愛しているのかが分かります。そして哲学は決して難解な学問なんかじゃなくて、誰も手に取ってみれる素朴な遊びということも。
「哲学とは何よりもまず、好奇心と探究心に満ちた子どもの遊び場であることを知って欲しい」(本文10ページ抜粋)
もし上のような疑問を一度でも抱えたことがある方は一度永井さんの本を手に取ってみてください。
マンガは哲学する
この本は有名なマンガを哲学的視点から読み解いていく永井さんの著作です。
漫画は絵と文章という2つの表現形式が組み合わさったある特殊な表現形態をしており、そこにしか現れない哲学的問いというものがあります。
手塚治虫、藤子・F・不二雄、萩尾望都、楳図かずお、永井豪、赤塚不二夫、岩明均など有名な漫画家の作品を、相対主義、言語ゲーム、時間論、自我論、神の不在証明、超人論などの現代哲学的立場から論じるこの本は飲茶さんの著作と同じくらい知的好奇心をくすぐられます。
この本は二兎を追っている。マンガ愛好者には、マンガによる哲学入門書として役立つと同時に、哲学愛好者には、哲学によるマンガ入門書に役立つ、という二兎である。
マンガ好きの方々には「君たちはそれとは知らずにじつは哲学に興味を持っていたのだよ」とぜひとも言ってみたかったし、哲学好きの方々には、「その問題ははるかにポピュラーな形でもうマンガに表現されているのだよ」と言ってみたかった。(本文より抜粋)
一般に漫画の世界では現実とは全く異なる価値観が支配しているとされていますが、実はそっちの価値観の方がよっぽど合理的でまともだったりもします。
永井先生はこういうことを「ある種の狂気」と語っています。
私がマンガに求めるもの、それはある種の狂気である。現実を支配している約束事をまったく無視しているのに、内部にリアリティと整合性を保ち、それゆえこの現実を包み込んで、むしろその狂気こそがほんとうの現実ではないかと思わせる力があるような大狂気….(本文より抜粋)
<子ども>のための哲学
こちらも永井先生の著作です。<子ども>となっているのが何よりも重要なのです。
この本で論じられている問題はたった2つです。
- なぜ悪いことをしてはいけないのか(倫理・道徳)
- なぜぼくは存在するのか(存在)
たった2つのこの問いを一冊の本の中で論じます。
最初の「なぜ悪いことをしてはいけないのか」という問題は一見簡単そうですよね。
例えば「悪いことをしたら先生に怒られるぞ」というようなことを大人は言いますよね。
しかし
別に怒られたっていいよ。
という<子ども>もいるでしょう。
そこで大人は「自分がやられて嫌なことは人にはしない(してはいけない)」と言いがちですよね。
でも
自分がされるのは嫌だけど、他人にするのはいいじゃん。どうしてだめなの?
と<子ども>に言われてしまう問答が堂々巡りしてしまい、もう何も言えなくなってしまいますよね。
「してはいけなさ」はどこからくるのか、つまり「倫理や道徳には究極的な根拠がないのではないか」ということをこの本の中で論じているのです。
次の「なぜ僕は存在するのか」も<子ども>が発する非常に素朴で純粋な問いです。
別に<自分>がこの世に存在しなくても世界は何も変わらずに回っていたはずです。
この<自分>とは例えばAとかBとかという名前のことを言っているわけではないのです。
たとえ自分がAという人物であってもそれは<自分>である必要はないのです。
Aという人物は他人から見てAであればいいのであり、<自分>である必要はありません。
仮にAがある日突然ロボットになったとしましょう。外見も内面も全ては元のAと同じです。
変わったのは<自分>という意識が消えてしまったことです。
しかし、一体そのことに誰が気付いてくれるのでしょうか。Aは以前と変わらないAなのですから、誰も気付くことはありません。
それでは消えてしまった<自分>とは何なのか。
「なぜぼくは存在するのか」の章ではこのような究極的な問いに挑んでいます。
暮らしの哲学
「暮らしの哲学」は文筆家の池田晶子さんのエッセイ集です。
一般的な哲学的問題を論じるというよりは、日常の中に潜むちょっとしたことに哲学的な観点からちょっと意見を述べる、といった感じのエッセイ集なので読みやすいです。
哲学の入門書というよりは「哲学的感性を備えた著者の随筆」という方が正確です。
読めば分かりますが、とても繊細な感性を持った方です。しかしその筆力は小林秀雄に匹敵するほど、と言っても言い過ぎではありません。
季節ごとに章が分かれているのも良いですね。
池田晶子さんは2007年に亡くなられていますが、未だに著作は有名で数多くのファンがいらっしゃいます。
池田さんは永井先生と同じ慶應大学の哲学科出身です。私も入ればよかった。
哲学入門 (ちくま学芸文庫)
これはイギリスの哲学者バートランド・ラッセルが書いた哲学入門(The problems of philosophy)です。
実は私はまだ読んだことがないのですが、評判はいいようです。特に邦訳が素晴らしいとのこと。
まとめ
以上私がおすすめする哲学の入門書を10冊紹介しました。
哲学の入門書はありふれています。Googleで「哲学 入門」と打てば無数の入門書が表示されます。
しかし他の学問とは違い、哲学の入門書は間口があまりにも広すぎます。
ただ単に西洋の哲学思想を学びたければすぐに見つかりますが、自分で哲学をしたい人にとっては他人の思想なんてどうでもいいことです。
自分で哲学をするにはまず他の人の真似をすることから始まります。
他の人がどういう風に問いに挑んでいるのかを何度も見て真似することによって初めて自分で哲学をする準備が整います。
今回紹介した本は全て真似するにうってつけの良書ばかりです。
ぜひこれらの良書を手に取り、何度も読み返してから自分の哲学を始めてみてください。
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