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川崎殺傷「1人で死ね」と言ってはいけない理由がわからない人へ

川崎市で小学生らが殺傷された事件(2人が死亡18人が重軽傷)が発生した先月28日に落語家の立川志らくさんが「(人を巻き込むくらいなら)一人で死ね」という趣旨のツイートをしました。

元ツイは削除されたようです。

志らくさん以外にもテレビの著名人(?)が同じような趣旨のコメントを出しています。

安藤優子キャスター:「社会すべてを敵に回して死んでいくわけですよね。だったら、自分1人で自分の命を絶てば済むことじゃないですか」

宮根誠司キャスター:「自分一人で自殺したらいいんじゃないか…と思うんですけど。何でこんな幼い子どもを含めて何の罪もない人を巻き込むのか」

 高橋ジョージさん:「いったい、何人の命を奪おうとしたのでしょう?『勝手に一人で死ねば』の前には『人を巻き込むくらいなら』が入るのです。非難されて当然です」

 梅沢富美男さん:「これから被害に遭った人たちはどうやって、何を頼りに生きていけばいいんだ?だから、一人で死ねって言ってるんだ!当然のことだろ!そういうことをいちいちネットで話題にすること自体、おかしいわ!被害者の気持ちになってみろ!」

それに対して貧困者らを支援するNPO「ほっとプラス」の藤田孝典代表理事は「次の凶行を生まないためにも、『1人で死ぬべき』という非難は控えてほしい」と呼びかけました。

教育評論家の尾木ママやコラムニストの小田嶋隆さんも藤田さんを擁護するツイートをしています。

事件から1週間ほど経とうとしていますが、未だに論争が続いています。

今回の川崎の事件は安倍総理もコメントを寄せるくらい衝撃的な事件であり、ツイッターを覗けば著名人だけでなく一般人も様々な意見をつぶやいているくらいなので、まだこれからも論争は続いていくと思います。

この論争がどう決着するのかは分かりませんが、結論として私は、「(他人を巻き込むくらいなら)一人で死ねばいい」という発言はある水準までは正しいが、なんら生産性も無く、かつ誰の心も癒さず、むしろ社会全体の保全性に悪影響を及ぼす可能性が高いので言うべきではないと考えています。

さらにこういう発言が当たり前になりつつある社会に対して危機感も持っています。

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他人を巻き込むくらいなら」の正しさ

今回の論争で「一人で死ねばいい」と発言したほとんどの人は「他人を巻き込むくらいなら」という前置きを前提にしています。

当然のことですが、彼らは自殺を推奨している訳でもなく、自殺はいけないこと・避けるべきことだとわかった上で「それでも自分の命を断ちたいのなら、他人を巻き込まずに一人で死んで欲しい」とどこにもぶつけようのない怒りを吐露しています。

この怒り自体の正しさは疑い得ません。

たとえ自分と直接の繋がりが無くても、罪もない人が殺されて怒りに震えることは社会的にも道徳的に正しいこと、当たり前のことです。

他人を巻き込むくらいなら」の無力さ

しかし「他人を巻き込むくらいなら」という言葉は同時に無力でもあります。

なぜならこの言葉が意味(道徳性)を持つのはあくまで、こちら側(社会側)の論理においてだけです。

死を覚悟した人間においてこの言葉は何の意味も持たず、むしろ場合によっては反社会的行為の動機を与えてしまいます。

死を(本当に)覚悟した人に対して「道徳的な行為をしてから死ね」というのはあまりに無力です。

今回の川崎の事件でも容疑者は自殺を覚悟の上で、他人を巻き添えにすることを選びました。

容疑者の家庭環境や生い立ちに関してあれこれ言われていますが、他者との人間関係が限りなくゼロに近い孤立状態だったこと以外に人格に大きな欠陥があったわけでは無いようです。

と言うことは、彼だって人を殺すことが(道徳的に)悪いことだというのは当たり前に知っていたはずだし、他人を巻き込んで自殺することが悪いことであると知っていたはずです。

しかし、それでも彼は他人を巻き添えにして自殺しました。

人を殺すのが悪いと分かっていたにも関わらずに、他人を巻き添えにしたのです。

「「他人を巻き込むくらいなら一人で死ね」と言っていればこういう事件は防げる」、と単純に思っている人はこのことの意味を深く考えるべきです。

「他人を巻き込んで死ぬくらいなら一人で死ね」という言葉が有効なのはあくまでこちら側(社会)の論理でしかないのです。

これから死ぬという人にとってみれば「(どれだけ悪いことをしようが)どうせ死ぬ。だからもうどうだっていい」という強い覚悟と諦めがあります。

そんな人に対して「他人を巻き添えにするのは道徳的に良くない。だから一人で死ね」と言ったところで、何の説得力もありません。

むしろ彼にとってはこの言葉によって社会との最後の接点が失われてしまったように感じ、今回のような事件を引き起こす引き金にもなりえます。

だからこそ軽々しく「死ぬなら一人で死ね」と言ってはいけないのです。

社会の側へ引き戻すことの大切さ

今回の論争を見ていてツイッター上で多くの人が「死ぬなら一人で死ね」という発言に賛成の声を挙げていて、正直なところ

もう日本は終わりかな

と思わずにはいられませんでした。

繰り返しになりますが、「他人を巻き込んで死ぬなら一人で死ね」ということは、こちら側の論理ではどこまでも正しいのです。

しかしながら死を覚悟した人間にとってはこの言葉は何の説得力も持ちません。

これから死ぬという人にとっては道徳なんて何の制約にもなりません。

故に、この言葉を所構わず発することで、自殺を考えている人に「他人を巻き添えにしない」ことを期待するのはナンセンスです。

たとえ怒りの矛先が無くてどうしていいのかわからないのだとしても、この言葉を発してはいけないのです。

「一人で死んでくれ」と言ったところで、死んだ人が戻ってくるわけでもなければ、遺族の苦しみが取り除かれるわけではありません。

もし本当にこういう事件を起こしたくないのなら、まずは自殺をさせないことに尽力するのが正しい順序です。

そのためには自殺したいと思っている人・社会から孤立している人を社会の側に引き戻し、人間関係の網の中にもう一度組み込んであげる必要があります。

まさにそのための活動をされている藤田孝典さんが今回のような問題提起をしたのは、極めて自然なことだと思いますし、私は彼の主張に賛同します。

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