先日知り合いと赤羽にあるタイ料理屋に行きました。
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— ฮิคารTeru@BKKor中野 (@mitsushimalove) 2019年4月9日
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そこで食事をしていると、どういう経緯なのかはわかりませんが、いつのまにか宗教の話になっていました。
その時に「キリスト教やユダヤ教やイスラム教の神さまは一緒だ」みたいな話になったのですが、お酒が入っている上にそこらへんの知識も乏しかったので、かなりフワフワしたことしか話せずにモヤモヤしたまま帰路につきました。
家に帰ってからも気になって眠れなかったのでネットで調べたり、本を読んだりしたところ、やっぱりキリスト教とユダヤ教とイスラム教の神は同じでした。
この3つの宗教は世間的にはかなり仲が悪いと思われがちですが、実は同じ神を信仰しているのです。
むしろ同じ神を信仰しているが故に仲が悪くなったと言っても差し支えありません。
最初はユダヤ教から始まり、そこからキリスト教が分岐し、アッラーの啓示を受けたムハンマドがアラビア半島でイスラム教が誕生しました。
今回は日本人には意外と知られていないこの事実についてちょこっと解説していきます。知っていると賢く見えるので自分を賢く見せたい人は必読です。
唯一神
ユダヤ教とキリスト教とイスラム教が信仰している唯一の神さまの名前はそれぞれの宗教で異なります。
それぞれの宗教で解釈は若干異なるものの、唯一神は「全知全能唯一絶対」の神で、この世界を創造した存在と捉えられています。
宗教によって呼び方は異なる
唯一神の呼び名はユダヤ教、キリスト教、イスラム教で異なります。
ユダヤ教においては「ヤハウェ」と呼ばれ、キリスト教では「ゴッド」、イスラム教では「アッラー」と呼ばれます。
唯一神に固有の名前はありません。
モーセがヤハウェに訪ねた時も「私は在りて在るものである」と答えたのみで、自分の名前を言うことはありませんでした(『出エジプト記』第3章第14節)。
神の唯一性
ヤハウェ、ゴッド、アッラーと、名前が異なっているにも関わらずに3つの宗教とも同じ神を信仰していると言える理由は、神の「唯一性(絶対性)」にあります。
この世界を創造した神が1つ(唯一)であり、3つの宗教ともその神の唯一性を信じているのであれば、論理的に3つの宗教とも同じ神を信仰していなければならないのです。
この「信仰していなければならない」という点は強調しすぎることが出来ません。それくらい重要です。
偶像にすることが出来ない
神は人間の知性を超越した存在であるため、どういった姿形をしているのかは見ることも想像することも出来ません。
これは3宗教とも一致した考え方です。
キリストの像はオーケー?
しかしキリスト教(ローマ教会)の場合はちょっと特殊で、イエス・キリストの像を作ることは許容されています。
これは「神の子であるイエス・キリストは同時に人間(そして精霊)である」という三位一体説に基づきます。
つまり直接神(ゴッド)の姿を表現しているわけではなく、あくまでイエス・キリストという(肉体を持った)人間の像だから崇拝しても許されるのです。
元々はキリスト教も偶像崇拝を禁止していましたが、布教の際の利点や、国家宗教としての性格が強くなると徐々にイエスが磔にされている像が作られるようになりました。
簡単に言ってしまえばキリスト教が政治利用され始めたのですね。
しかし、偶像崇拝に厳しいイスラーム教からの反発で726年のビザンツ皇帝レオン3世が聖像禁止令を出します。
そこでローマ教会はさらに反発します。キリストの像を作りまくっていたローマ教会にとっては今更偶像崇拝を禁止することも出来なくなってしまったのです。
そしてそこから1054年のキリスト教会の東西分裂(ローマ教会とギリシア正教会)と繋がっていきます。
イスラム教は特に厳しい
偶像崇拝に関して最も教えが厳しいのがイスラム教です。
イスラム教は神の唯一性を重視するため、預言者の姿を描く絵画的表現は許されていないのです。
唯一性とはつまり「それ一つしかありえない(唯一である)」という意味です。
絵画で神を表現してしまうと必ず色々なバリエーションが出てきてしまいますよね(cf.タイの多種多様な仏像)。
そうすると神の唯一性が担保させなくなってしまいます。
なのでムスリム(イスラム教徒のこと)が礼拝を行うモスクの内部には宗教シンボルなどが一切排除されています。
ヤハウェはヘブライ語
ユダヤ教が使うヤハウェ(יהוה)はヘブライ語です。この4文字を神聖四文字、テトラグラマトンと言います。
実はこの4文字は全て子音であり、声に出す時には母音と組み合わせて発音されます。
それが英語だとYahweh(ヤハウェ)になります。おそらくどこかで聞いたことがある人もいるかもしれません。
ヤハウェとエホバ
ところで、Yahwehの語順と文字を少し変えるとJehovah(エホバ)になります。
よく駅前で聖書を掲げている「エホバの証人」のエホバはこのエホバです。
つまり彼らも唯一神(ヤハウェ)を信仰しているのです。
五大預言者
神は直接人類全員に話しかけるようなことはしません。
神は人類の中から代表を選び、直接的・間接的に語りかけます。
歴史上ヤハウェの声を聞いた(または天使によって伝えられた)と考えられた人物は5人います。
その5人というはノア、アブラハム、モーセ、イエス、ムハンマド(神の啓示を受けた順)です。世界で一番有名な人たちです。
神の啓示を受けた彼らは預言者(prophet)と呼ばれます。
預言者は予言者(未来を予想する人、ノストラダムスみたいに)とは異なり、神の言葉を預かる者という意味です。
各宗教間の争いの理由
ユダヤ教の開祖がモーセであり、キリスト教の開祖(救世主)がイエスであり、イスラム教の開祖がムハンマドとされています。ここら辺は高校の世界史で学ぶ知識ですね。
そして実はユダヤ教、キリスト教、イスラム教が長年争ってきた理由はここにあります。
彼らが争っている一番大きな理由は「最後に(本当に)神の啓示を受けたのはどの預言者なのか」という点なのです。
預言者モーセ(ユダヤ教)
最初に始まったユダヤ教にとってはモーセ(とその前のノアとアブラハム)だけが神の声を聞いた預言者(神との契約を結んだ者)でした。
モーセこそが最終的な預言者であり、彼が伝えた神(ヤハウェ)の言葉こそが真に神の言葉であると考えられていました。
預言者イエス(キリスト教)
しかしある時ナザレという現在のパレスチナ周辺に「神(ゴッド)の啓示を受けた」というイエスという男が現れます。
イエスは水をワインに変えたり、海の上を歩いたり、様々な奇蹟を起こして民衆を驚嘆させます。
しかし、モーセが最後の預言者だと考えるユダヤ教は当然イエスを預言者とは認めることは出来ません。
そして、ゴルゴダの丘でイエスを磔にして処刑するのですが、3日後にイエスは復活してしまいます。
彼の死と復活によりキリスト教が始まります。同時にユダヤ教とキリスト教との対立が始まります。
預言者ムハンマド(イスラム教)
キリストの死から600年ほど経ったアラビア半島でムハンマドという商人の男が洞窟で寝ていたところ突如金縛りに襲われます。
するとそこへ大天使ガブリエルが現れ、ムハンマドは唯一神(アッラー)の啓示を受けます。
大天使ガブリエルは度々ムハンマドの元に現れ、ムハンマドはガブリエルが伝える言葉をまとめて「コーラン(クルアーン)」を作り、イスラム教を創始します。
しかし最後の予言書を主張するムハンマドの登場はモーセを最終的な預言者と考えるユダヤ教にとっても、イエスを最終的な預言者とするキリスト教にとってもでたらめなので認めることは出来ません。
かくして「本当の最後の預言者は誰なのか」を決める為に争いが起きます。これが今日まで続く宗教間の争いの根本的な原因となっているのです。
まとめ
今回はユダヤ教、キリスト教、イスラム教が信仰する唯一神と、各宗教が争う理由について調べました。
結論はこうなります。
- ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同じ神(唯一神)を信仰している
- ヤハウェ、ゴッド、アッラーと呼ばれる
- 神の啓示を受けた人物は預言者と呼ばれる
- 歴史的にはノア、アブラハム、ノア、ムハンマドの5人が預言者とされる
- 誰が「最後」の預言者なのかを争い続けている
宗教の起源、歴史の変遷や教義はあまりに複雑なため、簡潔にまとめることが不可能なのでこんな中途半端な終わり方になってしまいました。
もっと深く知りたい方はこの書籍がオススメです。
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