どうも。最近嫌な夢ばかり見ては二度寝している者です。
私は寝ている時に夢を見ることが多いのですが、いつも変な夢ばかりを見ます。
そんな夢を見るたびに
ハッピーエンドで目覚めたい
という欲求に駆られて再び寝袋の中に戻ってしまいます。
でも二度寝したからと言ってさっき見てた夢の続きが見れるわけではなく、全く別の(変な)夢を見ることがほとんどです。
夢の中でしか思い出せないこと
そこでふと気になったことがあります。
それは「夢の中でしか思い出せない記憶はありうるか」ということです。
現実世界で目が覚めている時にはすっかり忘れているのに、夢の世界ではしっかりと思い出すことが出来るような、そんな記憶はあり得るのでしょうか。
これは例えば夢の中では5ヶ国語話せるとか、めちゃくちゃモテるとか、現実世界の自分が持ち合わせていない特別な能力に関することではありません。
あくまで「面白い石ころを拾った」や「誰々さんと会った」と言った日常的な記憶です。
夢を見ている時にだけ石ころや人と会ったということ思い出し、目覚めた後にはすっかり忘れているようなことはあるのでしょうか。
あれ?なんだったっけ?(現実世界)
昨日面白い石ころ拾ったよ(夢の世界)
二重(多重)人格者の記憶の連続性
ちょっと考えてみるとこの問題は二重人格の記憶についてと構造的な類似点があるような気がしてきました。
二重人格にも色々バリエーションがありますが、一方の人格Aともう一方の人格Bの記憶が完全に切り別れている場合を想定してみます。
人格Aが起きている時はBは完全に無意識の状態で、Bが起きている時は人格Aが無意識の状態です。
お互いの記憶は完全に切り分けられており、目覚めて初めて自分とは別の人格が何をしていたのかを知ることになります。
この想定は論理的には可能な状態です。
一日おき、あるいは一時間おきにどちらかが完全に眠っていて、もう一方が活動しているという想定は現実的ではないとしてもあり得る想定です。
現実という夢を見る
本題とはちょっと離れていきますが、思いつきでここで新たな仮定を導入してみます。
もし人格Aが目覚めている時に、人格Bが「人格Aという夢」を見ている場合を想定したらどうなるでしょうか。
つまり人格Bにとっての「夢」は人格Aの「現実」である場合です。
この場合、仮にAとBの記憶の連続性がなかったとしても、人格BはAの現実世界を夢の中で体験することになります。
ということはつまり人格Aと人格Bは記憶的に連続していると言ってもいいのではないでしょうか。
そして記憶的も身体的にも連続している(統合されている)人格Aと人格Bは、本当は二重人格なんかじゃないのではないでしょうか。
しかしそれでもやはりAとBは別の人格であると言いたい気持ちもあります。一体何がどうなっているのやら。
夢を見ていたと気付くのは常に後
ところで我々が
….ハッ!..なんだ夢だったのか。
という風に自分が夢を見ていたことに気付くのは常に目覚めた後です。
「常に目覚めた後」というところが非常に重要です。
夢を見ている最中に
俺今夢を見てるんだなあ(そして体は普通に寝袋の中にあるんだよなあ)
と気付くことが絶対にありえません。
もし夢の中でそういうことを思ったと知っても、それはそういう夢(自分が夢を見ていると錯覚している夢)を見ていることに過ぎません。
つまり
…ハッ。なんだ今のは夢だったのか(現実世界・寝袋の中)
今夢を見てるんだよな(夢の中の世界)
という入れ子構造になっているのです。
仮に、「夢1を見ている夢2を見ている夢3….」という風に「夢の中の夢の中の夢」を見ていたとしても、常に一番外側の吹き出しは現実世界でなくてはいけません。
…ハッ。なんだ今のは夢だったのか(現実世界・寝袋の中)
今夢を見てるんだよな(夢の中の世界1)
今夢を見てるんだよな(夢の世界2)
考えれば考えるほど謎が深まっていきますが今週はここまで。続きを知りたい人は自分で考えるか下の本を読むことをオススメします。
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