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南直哉著「禅僧が教える心がラクになる生き方」を読んで思ったこと。

哲学探究

どうも。最近はずっと眠気と戦っている者です。

先日南直哉さんの「禅僧が教える心がラクになる生き方」という本を購入しました。

南さんの著作は他にも「老師と少年」や「善の根拠」「超越と実存 「無常」をめぐる仏教史」などがあり、全てではありませんが、私もいくつかの著作を読んだことがあります。

今回読んだ「禅僧が教える心がラクになる生き方」は2017年に初版が出ている最近の作品です。

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アマゾンランキングを見る限りでもそこそこ人気があるこの作品を読んだので、ちょっとだけ思ったことや感じたことを書きます。

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南直哉さんとは

その前に著者の南さんについてちょこっと紹介します。

南直哉(みなみ じきさい)さんは曹洞宗の禅僧の方です。お坊さんです。

長野県出身で、早稲田の第一文学部を卒業した後大手百貨店で2年間のサラリーマン生活を経て、1984年に曹洞宗で出家会得しました。

そして1984年から曹洞宗の大本山である永平寺に入山し、約20年の修行生活を送ります。

この永平寺の修行はその過酷さでよく知られていて、厳しさに耐えかねて途中で下山する修行僧もいるくらいなのですが、南さんはそこで20年も修行していたのです。

永平寺の修行については下の動画をご覧ください。

禅の修行

そして2003年に下山し、2019年現在は福井県にある霊泉寺住職、青森県の恐山菩提寺院代を務めています。

南さんは普通に大学を出て、社会人経験を積んでから出家した珍しいお坊さんです。

別にお寺に生まれたわけでもなければ、敬虔な仏教徒であったわけではないのですが、幼い頃から「死とは何か」という捉えどころのない問いを持ち続けていたそうです。

そのきっかけは小さい頃から酷い喘息持ちだったからだそうです。

喘息をこじらせてしまうと目の前が真っ赤になる絶息状態に陥ることもあり、南さんにとっては生よりも死の方がリアルに感じられるようになりました。

それからというもの、「死とは何か」という問いに対する答えを探し続け、中学3年の時に出会った仏教の「諸行無常」という言葉に救われたそうです。

ラジオ出演

去年のザ・ボイスを聴くと南さんの人となりがすぐにわかります。ちょっとヤクザっぽい話し方です。

【宮崎哲弥】ゲスト:南直哉 2018年3月6日 ザ・ボイス そこまで言うか!
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「禅僧が心がラクになる生き方」

それでは今回読んだ「禅僧が心がラクになる生き方」について。

南さんがこの本を書いたきっかけは日常的に行なっている(人生)相談です。

南さんのところに相談に来る多くの人が会社での人間関係だったり、病気のことだったり、将来のことだったりと深刻な悩みを抱えています。

誰もが自分が置かれた状況に苦しみ、自分ではどうにもならないと思い助言を求めて南さんのところにやってきます。

しかし、彼らの話を聞く南さんにすれば、多くの場合には解決の糸口はすぐ近くにあることが多く、苦しい原因は苦しみの正体をはっきりと見定めていないことだと言います。

自分が今どういう状況に置かれていて、自分は結局何をしたいのか。それを明らかにするだけで苦しみから逃れらることは容易い、と南さんは言います。

仏教というツール

そしてその苦しみの正体を見定めるためには仏教というツールを使うのは非常に有効であると言います。

つまり仏教(または釈迦の教え)とは単に上から落とされた難解な教義なんかじゃなくて、日常を生きる我々が壁にぶち当たった時に相談することが出来る、極めて実践的な道具になり得るのです。

読むだけでは心はラクにならない

本のタイトルが「心がラクになる」なのでこの本を読むだけで心がラクになると思いがちですが、実はそうではありません。

この本に書かれていることはあくまで「今現実に自分を苦しめている状況にどう対処すればいいのか」という実践的なアドバイスです。

心をラクにするためには何よりもまず「現状を変えること」が大切です。

そしてこの本には現状を変えるための実践的な手法が数多く散りばめられています。

各章の構成

この本は4章で構成されています。

  • 第1章:あなたが大切にしている「自分」とは何か
  • 第2章:「夢」や「希望」という重荷を下ろす
  • 第3章:感情に振り回されないために
  • 第4章:死に向かって今日を生きる

各章の中はいくつかの節に分かれており、1つにつき5分もあれば読めてしまいます。

抽象度が高いテーマから出発して章を重ねるにつれてより実践的な手法へと流れていきます。

「自分」なんて存在しない

第1章では「自分」なんてものは無いということが説かれています。

絶対にここにあると思っている「自分」というのは実はその時々の他人との関係性によって成り立っている脆い存在であり、絶対的に存在している訳ではありません。

「昨日の自分」と「今日の自分」と「明日の自分」は別人です。

それらが同一人物であると思ってしまうのは記憶の連続性他者との関係性によります。

「自分」は脆い

仮に今日記憶喪失になってしまったとします。

そうすると「昨日の自分」を「今日の自分」と同一視することが出来なくなってしまいますよね。

しかし記憶が失くなったとしても他者との関係性の中においては「昨日の自分」を「今日の自分」を辛うじて結びつけることが出来ます(例えば、親子関係とか、友人関係とか)。

でもその他者がいなくなってしまった場合はどうなるのか。

もはや自分が誰だか分からなくなってしまいませんか。

「自分」という存在(概念)はこんなにも脆いのです。

「関係性を変える」=「状況を変える」

上の例はちょっと極端ですが、「自分は記憶と他者との関係性によって成り立っているだけだ」と思えることで気が楽になり、視界がクリアになることもあります。

例えばある人が会社で上司や部下との人間関係に悩んでいるとします。

その人は「「自分」は苦しい」と感じているはずです。

しかし苦しんでいるその「自分」とは結局のところ、ある1つの関係性の中にいる「自分」に過ぎません。

他の会社や他の部署で働く「自分」がいるとしたらそれもまた「自分」です。

ということは苦しんでいる現状を変えるには関係性を変えることに他なりません。

絶対にここに存在している「自分」という考え方を拒否することで、物事をよりクリアに見定め、解決策への的を絞ることが出来るようになります。

「夢」や「希望」は要らない

小学校や中学校の卒業文集では必ずと言っていいほど「将来の夢」「なりたい職業」について書かされます。

私は確か「医者になりたい」か「サッカー選手になりたい」と書いたような記憶がありますが、もしかしたらそのどちらでも無いかもしれません。

いずれにせよ今現在私は医者でもなければサッカーも10年以上やっていません。夢なんてその程度のものです。

実際に周りを見渡しても自分の夢を実現している人はごくわずかです。

自分の両親を見ても、子どもの頃の夢を叶えているかどうかと考えてみれば大いに疑問です。まさか「サラリーマンになりたい」と卒業文集に書くはずもありません。

生きることの意味は無い

ここで考えて欲しいのが「何のために生きるのか。何のために生まれてきたのか」ということです。

しかし誰しも自分の力で生まれたはずはなく(だからこそ英語ではI was bornと受け身になるのです)、この問いには答えがありません。

生きることの意味があるとすればそれは自分で後付けする必要があります。

その後付けとしてよく聞くのが「せっかく生まれてきたのだから自分が好きな事をしたい」という言葉です。

この言葉はよくツイッターやYoutubeなどでよく目にします。

こういうのを呟く人は巷ではインフルエンサーと呼ばれることもあります。

まるで夢を持ってそれに向かって突き進むのが唯一の正しい生き方であるような風潮があり、夢なんか何も無い身としてはとても息苦しく感じます。

ところが別に夢を叶えてなんかいなくたって、幸せにはなれますし、夢を叶えても幸せになれないこともあります。

一部の人たちだけが自分の夢を叶えて幸せを実現していますが、夢なんかなくたって、夢を叶えなくたって、ショートカットして幸せになることは出来ます。

感情が揺れても不動点を持つこと

第3章ではより苦しい状況を打破するためのより実践的な手法が説かれています。

その一番大きなものが現状と感情を切り分けて考えることです。

自分を苦しませている現状と感情を切り離すことで自分が今すべきことがハッキリと見えてくると言います。

とは言っても南さんは「何が起きても絶対に怒ってはいけない」などと不可能な事は言いません。

実際に南さん自身も永平寺という組織集団の中で生活していくイライラしたり、感情を爆発させる事があったと言います。

しかしどんなに怒りや悲しみで心が振り回されようとも、坐禅を組むことによって常に動かない不動点に感情を落ち着かせることが出来たと言います。

頭(感情)と体(現状)を切り分ける

感情をコントロールするには何よりも不動点を持つことが重要なのですが、これは何も坐禅を組む必要はありません。

散歩でもお入浴でもいいので、とにかく体を使ったルーチンワークを毎日続けることが不動点を保持するのに効果的です。

どんなに強い感情で頭の中が満たされようとも、毎日決まったことで体を刺激することで、感情を落ち着かせることが出来ます。

感情が落ち着くと「今自分がすべきこと」を冷静に見定めることができ、苦しみから逃れるための実際的なアプローチを取ることが出来るようになると言います。

「死」について

第4章では恐山院代を務める南さんが「死」との付き合い方について語っています。

生きていてもっとも辛く、もっとも切なくなるのは親しい人を亡くした時であるのは自明です。

その人との関係が深ければ深いほど悲しみも大きく、どんなに気丈な人でも相当堪えるはずです。

病気や老衰のようにダメかもしれないと思いつつ旅発った場合はまだ受け入れることが出来ますが、突然の事故で亡くなった場合はそうはいきません。

まだその人が死んだ事を素直に認めることも難しく、涙さえ出ないこともあります。

そんな時に、ちゃんと別れの挨拶をせずに故人となってしまった人を「死者」として再び迎えるには苦しいし相当な時間がかかります。

しかし南さんは「苦しみを無理やり克服しようとせずに、苦しみを背負って生きるべき」と言います。

損得によらない悲しみを癒すにはどれだけの時間がかかるのか計算することは出来ません。

すぐに立ち直る場合もあるだろうし、何年も苦しむこともあるかもしれません。

しかし、それでもコツコツと日常生活を生きていけば、悲しみが消えないにしても、いつの間にか自分が苦しんでいる「意味」が分かるようになると言います。

そうすれば自然と立ち直る事が出来、新たな人生を歩み始める事が出来るようになります。

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まとめ

ラジオを聴いても本を読んでも南さんの考えは一貫しています。

それを一言で言えば「自分の存在には根拠がない」です。

自分が今「南直哉」として坊さんをやっているのにも、大した根拠は無くて、ただ成り行きでそうなっているにすぎない。

南さんの物の考え方の根底にはこの直感があり、お釈迦様が悟ったこともまさにこのことです(しかしそれを語った時点で根拠があることになってしまうのですがそれはまたの機会に)。

フランスの哲学者デカルトは「思うゆえに我あり」と言いましたが、お釈迦様にとってはそもそも最初のすら存在しないのです。

しかし日常を生きる我々には私はここに存在していることは自明の理で、そのせいで色々と苦しんだり困った状況に置かれる事があります。

そんな状況を打開するのに仏教的な視点(無我)を借りるのは実践的な手段となり得ます。

序文に書いてあるように、南さんがこの本の中で教えたかったのはまさにそのことで、タイトルにあるようにこの本を読んで「心がラクになる生き方」が出来るようになる人もいるのではないでしょうか。

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