最近はYoutubeで仏教関連の動画を観ることが多いのですが、たまたま流れてきた動画に天台宗の「千日回峰行」という修行の動画がありました。
「千日回峰行」については数年前のクレイジージャーニーでも放送されていたで、もしかしたら聞いたことがある方は多いかも知れません。
そこで今回は、一度行に入れば満行するか自害するかの二択しかない、史上最も過酷と言ってもいいくらい厳しい修行の1つである「千日回峰行」について調べてみました。
千日回峰行の概要
まずは千日回峰行の概要から説明します。わかりやすく箇条書きにしてみました。
- 平安時代に相応が始めたとされる
- 比叡山の礼拝所260箇所以上を回る修行
- 7年かけて行う
- 1〜3年目は年に100日(計300日)
- 4〜5年目は年に200日(計400日)
- 歩く距離は30キロ
- かかる時間は平均6時間
- 計700日が終了後最も過酷な「堂入り」を行う
- 堂入りは9日間「断食・断水・不眠・不臥」
- 6年目は年に100日(60キロの行程)
- 7年目は年に200日(84キロと30キロの行程)
- 行を続けられない場合は自害する
- 満行した者は戦後14人
これだけ見ても過酷過ぎて普通の人ではとても耐えられそうにありません。
千日回峰行の始祖は相応
千日回峰行を初めたのは平安時代の僧侶、相応(831年〜918年)だとされています。
相応は比叡山の無動寺を開創した人物でもあり、無動寺は千日回峰行の拠点となっています。
千日回峰行は法華経中の常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)の精神を具現化したものとも言われています。
常不軽菩薩は、出会う人々すべての仏性を礼拝されました。回峰行はこの精神を受け継ぎ、山川草木ことごとくに仏性を見いだし、礼拝するものです。(天台宗の修行について:比叡山延暦寺)
相応には数々の霊験譚があります。
- 瀕死の西三条の女御を治す
- 宮中で阿比舎の法を行じ、松尾明神を降臨させる
- 清和天皇の歯痛を治す
- 不動明王に祈って天上に昇る
歯痛を治すのは割と簡単そうですがきっとスピリチュアルな力を使ったのでしょう。
7年がかりの修行
千日回峰行は7年かけて行います。
無動寺でお勤めをしたのち、深夜の2時に出発します。
比叡山にある東塔、西塔、横川、日吉大社と他の260箇所の礼拝所を、真言を唱えながらひたすら練り歩き、全行程30キロを約6時間かけて巡礼します。
1〜3年目は100日間この修行を行い、4〜5年目は200日間この修行を行います。
満行か自害か
千日回峰行は一度行に入ると後戻りすることは出来ません。
どういうことかというと、途中で行を続けられなくなった場合は自害しなければいけません。
つまり一旦行を初めてしまえば、満行するか、自害するかの二択しか残っていないのです。
そのため行者は常に「死出紐」と、短剣、埋葬料10万円を携帯し、比叡山を歩きます。
一般的な感覚すればあり得ない話ですが、千日回峰行はそういう修行なのです。
白装束と草履
回峰行者は笠を被り、白装束を着て、草履を履いて修行を行います。
傘は未開の蓮華の葉をかたどった形をしており、白装束を着る理由は「行が続けられない時は自害する」という厳しい教えを示しているとされています。
幻覚・血尿
1999年に大峯千日回峰行者となった塩沼亮潤さんによれば、最初の一ヶ月で栄養失調になり、爪がボロボロと崩れ、血尿が出るそうです。
さらに休憩中に餓鬼に石を投げつけられる幻覚を見たり、武士に首を締められる幻覚を見たりと、心身共に疲弊し、幻想と現実がごちゃ混ぜになるんだそうです。
最も過酷な修行「堂入り」
計700日の修行が終わると次に最も過酷とされている「堂入り」に入ります。
堂入りでは9日間不眠・不休・断食・断水・不臥(横になれない)でひたすら不動真言を唱え続けます。
普通の人なら1日も持ちませんが、行者はこれを9日間続けなければいけません。
堂入りの前に行者は生き葬式を行います。それほど過酷な修行なのです。
さらに毎晩深夜の2時に堂を出て近くの閼伽(あか)井で閼伽水を汲み、堂内の不動明王に供えなければいけません。
それ以外の時間はただひたすら10万回真言を唱え続けます。それを9日間続けるのです。
3日目からは死臭が漂い始めるほど厳しい修行です。
そして9日間のお勤めが終わったのち、断食後初めての薬湯を口にすることが出来るのです。
生身の不動明王「阿闍梨」
堂入り満了(堂さがり)すると行者は生身の不動明王と言われる「阿闍梨(あじゃり)」となります。
この時から行者は自利行から衆生救済の利他行に入ります。
6年目からは一日60キロ
6年目はこれまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、全行程が60キロになります。もちろんこれも100日続ける必要があります。
そして7年目は最初の100日が全84キロの行程で、次の100日は1年目の比叡山中30キロの行程に戻ります。
これを満行すると「大阿闍梨(だいあじゃり)」の称号をいただくことになります。
千日回峰行者
これまで千日回峰行を満行した人は記録されているだけで51人います。1000年以上の歴史の中でたった51人ですから、どれほど過酷な修行かわかりますね。
- 1940年10月、箱崎文応
- 1946年9月19日、叡南祖賢(38人目、戦後1人目)
- 1953年9月18日、葉上照澄(39人目、戦後2人目)
- 1954年9月16日、勧修寺信忍(40人目、戦後3人目)
- 1960年、叡南覚照(41人目、戦後4人目)
- 小林栄茂(42人目、戦後5人目)
- 1962年、宮本一乗(43人目、戦後6人目)
- 1970年、光永澄道(44人目、戦後7人目)
- 1979年、叡南俊照(45人目、戦後8人目)
- 1990年、光永覚道(47人目、戦後10人目)
- 1994年10月18日、上原行照(48人目、戦後11人目)
- 2003年9月18日、藤波源信(49人目、戦後12人目)
- 2009年9月18日、光永圓道(50人目、戦後13人目)
- 2017年9月18日、釜堀浩元 (51人目、戦後14人目)
いかに過酷な修行であるかがわかります。
2回満行した人もいる
上の表では抜けていますが、酒井雄哉さんという僧侶は1980年と1987年に2回千日回峰行を満行しています。
千日回峰行を2回満行した人はこれまでたった2人しかいません。
失敗した人の名前は公表されない
千日回峰行は「満行か自害か」という厳しい掟があります。
おそらく満行できずに途中で自害した方もいらっしゃると思いますが、その方の記録などは一切公表されていないようです。
ただし失敗したから仏になれないということはなく、「行に入る」と決心した時点で十分悟りの境地に達しているような気がしますね。
一日回峰行で一般人も体験可
比叡山延暦寺では一般人向けに「一日回峰行」体験も行なっています。
たった1日だけですが、実際に行者が通る行程を7時間かけて歩くので相当過酷であることは間違いないでしょう。
行者はこれを7年続けるわけですから、もはや我々とは違う世界に生きていると言わざるを得ません。
まとめ
今回は千日回峰行について調べてみました。
あまりに過酷過ぎることも驚きですが、それに挑戦しようという人たちがいるのもさらに驚きです。
一般人が千日回峰行の真似をすることは不可能ですが、1日ならなんとか達成できそうです。
興味がある方はぜひ比叡山延暦寺で回峰行を体験してみるのもいいかも知れませんね。
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