久しぶりに小説を読んだので、それについて少しだけ書こうと思います。
確か最後に読んだのは9月くらいで、村上春樹の「世界の終わりと~」を読んだきり小説を手に取った記憶もないので随分久しぶりになります。
とはいっても30分程度で読み終われるくらい短い短編ですが。
因みにKindleUnlimitedだと無料で読むことが出来ます。
月額980¥で読み放題なので是非。
著者について
広島県内の高校を経て大阪の大学を卒業[3]。その後は清掃のアルバイトなどを転転とした[3]。29歳の時、職場で「あした休んでください」といわれ、帰宅途中に突然、小説を書こうと思いついたという[3]。そうして書き上げた「あたらしい娘」が2010年、太宰治賞を受賞した[3]。同作を改題した「こちらあみ子」と新作中篇「ピクニック」を収めた『こちらあみ子』(筑摩書房)で、2011年に第24回三島由紀夫賞受賞[4]。広島の実家近くで2014年に起きた広島土砂災害では、泥水が実家の周囲に押し寄せ、祖母の墓が流された[3]。「こちらあみ子」には、子どもの頃の郷里の思い出も散りばめ、広島弁もさりげなく登場する[3]。2014年刊の『こちらあみ子』ちくま文庫版に新作「チズさん」が併録されたが、それ以外に作品の発表はなく、半引退状態となっていた[5]。
2016年、新創刊された書肆侃侃房の文芸誌〈たべるのがおそい〉で2年ぶりとなる新作「あひる」を発表し、第155回芥川龍之介賞候補に挙がった。同作を収録した短篇集『あひる』で、第5回河合隼雄物語賞受賞。2017年、「星の子」で第157回芥川賞候補[2]、第39回野間文芸新人賞受賞。
2013年に結婚し、大阪市内で夫とふたり暮らし。庄野潤三の長女は同姓同名の別人。岡山市出身の小川洋子を「神様みたいな人」と敬愛し、「ずっとあんなふうに書いていけたらすてき」と話している[3]。(Wikipediaから全部引用)
比較的最近デビューされた作家さんなんですね。
作家の多くが定職につかずフラフラと職を転々とした後突然作家デビューするという経歴を持っているような勝手な僕の仮説がここで再び強固になったような気がします。
『あひる』のあらすじ(多少ネタバレ)
父と母と私(女)の3人は庭付きの一軒家でひっそりと静かに暮らしていた。
私には弟がいるが結婚してからは家にあまり帰ってこない。
父と母は弟に子どもが出来ないことを心配していて、母に限っては毎日神棚の前でお祈りをしている。
そんなある日、父の同僚が飼っていた真っ白なあひるがやってくる。
あひるの名前は「のりたま」といって3人は庭でのりたまを飼い始める。
のりたまが来てからというもの、近所の小学生がのりたま見たさに放課後に3人の家に遊びに来るようになり、家の中に少しずつ明るさが戻ってくる。
ここまでがあらすじですが、ストーリーを最後まで書くと
しかし、のりたまは日に日に病気がちになり、2度入院することになるが、退院して家に戻ってくる度にそれが「のりたま」ではないことに主人公だけが気付く。
子どもたちののりたまへの興味も段々と薄れてきて、家の中でゲームをしたり宿題をしたりするようになり、家は更に騒がしくなる。
ある時、家に遊びに来ていた子どもの一人の誕生日会をすることになり、主人公の母は朝早くから準備をするが、予定の時間になっても誰も来ることはなく、せっかく作ったご馳走だけがテーブルに残される。
しかし、その日の真夜中に色白の小柄な少年が家族の家を訪ねてくる。
「鍵を失くしてしまった」という少年と一緒に家中を探すが、結局鍵は見つからなかった。
その代わりに少年は今日の誕生日会用のご馳走をご馳走になり、作った母を大いに喜ばせる。
一方で主人公はこの色白な不思議な少年についてあれこれと考える。
それからしばらく経った後、主人公がのりたまの身体を綺麗にしている最中にのりたまは死んでしまう。
のりたまのお墓を作り、線香に火をつけて3人で手を合わせていると、以前のりたまに会いに来た小さな女の子が通りがかり、「ほかの2ひきはどこにいるの?」と私に尋ねるが私は何も答えなかった。
のりたまが死んでから数日後、久しぶりに弟が家を訪ねてくる。
弟は家の中で好き勝手やっている小学生を怒鳴りつけて追い出し、3人に説教を始める。
そして説教が終わった後に、今度子どもが生まれることを家族に話す。
感想・考察
「あひる」は文字数自体も少なく、かつ難しい言い回しや、レトリックなども殆どないのでスラスラと読みやすいです。
語り口調は淡々としていますが、「あひる」というタイトル通りに、内容は分かりやすく、ストレートなので小学生(中学生)の国語の教科書に載っていても不思議ではないという印象を受けます。
ただの現実をありのままに描くだけでなく多少ファンタジー的・寓話的な要素も入っていますが、それについて深く考える必要はなく「ああ、そういうことなんだな」という風にありのままを受け入れることが出来、それが何よりもこの小説の優れた点ではないかと思います。
ですが敢えて深く考えるとすればこの2点になるのではないかと思います。
- 誰も来なかった誕生日会の日の夜中に家を訪れた色白の少年は誰なのか
- どうして私と小さな女の子だけがのりたまが3羽いたことに気付けたのか
あの色白の少年は誰なのか
誕生日会の真夜中に色白の少年が家族の家を訪ねまて、「ガイコツのキーホルダーを失くした」と言って家中を探し回った後、誕生日会の余ったカレーとケーキをたらふく食べて帰ったあの不思議な少年は一体誰なのか。
この問いに答えるのは難しくありません。
文章を読み進めていけばあの少年は「のりたま」であったことは明らかです。
キーワードは「白」で、のりたまの「白い羽根」と「色白」の少年を結び付けてしまうのは自然でしょう。
「私」自身もそう思っていて、だからこそ次の日にのりたまのところにいって昨晩のお礼を言うのです。
現実的に考えればそんなおとぎ話のようなことは起こりえませんが、「白い羽根」と「色白」という二つの言葉の結びつきは現実のどんな因果関係よりも強い説得力を持ちます。
しかし、作者はあくまでこの繋がりを明示することなく書き進めます。
色白の少年が再び現れることもないし、「私」がそのことを話題にすることもありません。
実を言うと、作者自身にだってあの少年がのりたまであったかどうか本当は分からないのです。
作者が書いたのはあの少年が「色白」で何故か真夜中に訪ねてきてカレーとケーキをたらふく食べていったということだけです。
この時点で「あひる」は作者の手を離れ、一つの独立した、それ自体が自律的な空想世界へと昇華していったのではないかと思います。
どうして私と小さな女の子だけがのりたまが3ひきいたことに気付けたのか
この問い自体に少し誤解を招く恐れがあります。
何故なら本当にのりたまが3ひきいたのかどうかは「私」と「女の子」にしか分からなかった(気付けなかった)ことで、その意味では我々にはそれが果たして正しかったのかどうか確認しようがありません。
我々(読者と作者)はこの2人には分かって他の登場人物には分からないことがあるということを、あくまで外の世界から眺めているだけなので、どちらが正しいのかを決めることは出来ません。
「現実的にあひるがすり替わるというのはあり得ない」と言いたくなる人もいるでしょうが、大切なのは「それが現実に即して成り立つかどうか」ではなく、「どれほどの説得力を持って我々に訴えかけてくるのか」です。
逆説的ですが、現実とは我々に説得され納得されたものの集合体であり、その逆ではないような気がします。
話が逸れましたが、どうして私と小さな女の子だけが3ひきののりたまに気付けたのかは、残念ながら分かりません。
作者は私と女の子の関係性(繋がり)をどこにも書いていないからです。
つまりこの問いは「あひる」をここまで読んだ読者の純粋な想像力・空想力に任されます。
どういう説明があるのかは一人一人違うし、正解はありません。
作者自身にそんなことは分かりません。
作者が示したのは単に「私」以外にものりたまの違いに気付いた存在がいた、ということだけです。
まとめ
小説を読むことが好きだという人は多くいますが、それはあくまで娯楽の一環でありどこまでいっても受動的な営みで、わざわざ自分から能動的に読み解きより深く作品を理解しようと試みる人はそこまで多くないのではないかと思います。
僕自身もとにかく時間が許す限り良いものも悪いものも読み漁るということをしながらここ数年で何百冊も読んできましたが、その中で自分の血肉になったもの、指針となったものを挙げるとしたらほんの数冊になってしまうような気がします。
血肉にならないにしても、大まかなストーリーを覚えている作品だけでも1割にも満たないかも知れません。
記憶力がゴリラ並みというのも一因だと思いますが、それ以上に自分から能動的に読み解こうとしなかったことが理由かも知れません。
何をするにしても単に受け身でいるだけで自分の一部にするのは至難の業です。
ブログの意義
そういった意味ではブログというのは非常に有用なツールであるような気がします。
それは自分が読んだもの、見たもの、聞いたもの、学んだもの(インプット)を、一旦自分の中で消化し、自分に合ったよう組みかえてそれを外に出す(アウトプット)のに最適です。
それがインターネット上でゆらゆら揺れながら、たまーに(数日に一度くらい)自分と同じようなあ趣味・嗜好を持つ誰かの目に止まってくれればちょっと嬉しいし、一石二鳥だとも言えます。
つまり僕が言いたいことはこれからもちょくちょく小説を読んだら感想を書いていこうということです。
こちらは三島由紀夫賞を受賞した作品。
こちらは最新作。野間文芸新人賞受賞作品です。
そしてこちら第161回芥川賞受賞作品。おめでとうございます。
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